『デジタルラタトゥイユ 〜マルチメディア戦線参戦記』
Opening
私は、マルチメディアやインターネットやデジタルメディアを語る時に不可欠な「コンテンツ」(「情報の内容」「情報の中身」)づくりを生業としている。コンテンツづくりとは、「物づくり」ではなく「モノづくり」だ。
コンテンツづくりを行う私は、自分が「コンテンツ人」であると自任している。それは、コンテンツを売り買いしたり、切り貼りしたりする「コンテンツの商売人」ではない。しかも、流行りものや華やかな方面にだけ関心のある「コンテンツ人」でもない。いわゆるギョーカイ人とはちょっと違ったスタンスと流儀とテイストでやっている人間である。
マルチメディアやデジタルコンテンツの仕事が生まれて、10年以上が経過した。
この間、この業界にも実に激しい変化や浮き沈みがあった。幸い、私はその波に流されることなく、今も変わらずこうしてモノづくりに励んでいる。本当に幸せなことだと思う。
しかし、マルチメディアやデジタルコンテンツの仕事においては、その歴史が浅いためか、とりわけ日本においては誕生したプロセスが曖昧だったためか、相変わらずモラルや秩序や責任のない状態が続いている。
「マルチメディアやデジタルコンテンツの仕事というのは、騙しあい、利益を取り合う世界だった。ウンザリだ」....時々こんな言葉を聞かされる。そんなことを言わせている業界ではイカンぜ、と本当に思う。
ある大手メーカーのコンテンツ事業部の方が、「マルチメディアの仕事してる会社、どこも厳しいらしいねえ」とおっしゃっていた。確かに、大繁盛というわけにはいかない。世間や景気の影響を受けるのはやむをえないことだ。だが、景気に大きく左右されているうちは、その産業や業界がまだ本物になっていない証拠だろう。それでも、否応なく進行する社会変革とデジタル技術の進化の中で、この仕事の重要性はますます増大している。だからこそ、業界が安定し、産業として発展を遂げていくことが不可欠なのだ。
他方、私はエコノミストではないけれども、日本経済を過大評価していない。また、地に足のついていない事業や営み、イメージ優先でいたずらなまでにハイコストなモノづくりに対して、冷ややかな目を持っている。重要なことは、一過性のブームを煽ることではない。マルチメディアやデジタルコンテンツの仕事が、社会にしっかり根づき、安定した産業・業界になることなのだ。
本書では、そうした私の基本的な考え方に沿って、マルチメディアやデジタルコンテンツの仕事を軌道に乗せていくための私なりの姿勢や取り組み、スキルを述べさせていただいている。お読みいただいて、異論や違和感をお持ちになる方もおいでだろうと思う。そこは、私独自の実践と視点から、本書が著されていることをご理解いただければ幸いである。
少なくとも、マルチメディアやデジタルコンテンツの草創期からこの世界に飛び込み、浮き沈みにスポイルされることなく安定して営みを継続してくることができた人間の知見や経験やオピニオンとして、お読みいただけることを期待している。
竹内 好
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