2001 Summer-Autumn

2001年09月30日(日曜日)
 ベルリン・マラソンでの数字(タイム)は立派としか言いようないが、でも、ベルリン・マラソンはタイムトライアルだったわけだね。やっぱり、「レース」とは言えないよね。
2001年09月29日(土曜日)
 イタリアのセリエAを見ていても、元は陸上競技場だったスタジアムがフットボール専用スタジアムに改修されたのではないかと類推されるケースが、結構ある。
 陸上競技場が多い日本も、将来はサッカー専用スタジアムに改修されるようになって欲しいものだ。
2001年09月27日(木曜日)
 先週行われた、ムエタイのラジャダムナン・ウエルター級タイトルマッチ、チャナンピオンの武田幸三VSチャーンビット・ギャットトーポーウポンの一戦をCS放送で観た。
 率直に言うと、ムエタイの奥深さの前に、相手にならなかったという感じだ。ミドルキックを中間距離からガンガンぶち込んで、インファイトに入らせない。ムエタイの真骨頂、得意の展開だ。
 そして、それにも増して、その多彩なビジ打ちに見とれてしまった。あれほど多彩なヒジ打ちは、練習映像では見たことはあるが、試合の中で見たのは初めてかもしれない。逆に言えば、それだけ余裕もあったということであり、何としてもベルトをタイへ持ち帰る戦いをやってきたということだ。全然深さが違う。気の遠くなるくらいの場数の違い。揉まれ方が全然違う。勢いだけでは、ムエタイは越えられないということだ。
 残念ながら、昨年12月にタイのラジャダムナン・スタジアムでジュニア・ミドル級王座を獲得した小笠原仁が日本での初防衛戦で王座を奪還されたのに続き、今年1月に日本でウエルター級王座を獲得した武田も、やはり初防衛戦で奪還されてしまった。1978年に藤原敏男がタイでの初防衛戦で、ホームタウン・ディシジョンと思われる判定で王座を奪還されて以来、20数年ぶりのムエタイ日本人チャンピオンだったが、王座防衛の壁は、まだまだ高く険しい。
2001年09月24日(月曜日)
 日本のJリーグの試合を見ていて思うことが、また1つある。
 ゴールネットがスタジアムによってマチマチなのだが、統一してもらえないものか。もちろん、ワールドカップ仕様に。せめて国際標準に。海外のトップ・リーグでは、ワールドカップ仕様のゴールネットが大部分に思われる。
 ゴールの後ろにポールを2本立てて、吊っていただきたい。また、ゴールネットの下(=地面に付く部分)に、妙な「おもり」をつけないでいただきたい。あんなモノ付けているのは、日本だけではないだろうか。
 今年6月に日本と韓国で開催されたコンフェデレーションズ・カップのファイナルを、横浜国際スタジアムに観戦に行っていたのだが、試合前のマッチコミッサリー等のフィールドチェックの時に、おそらくFIFAの役員たちが、「これ、何だ?」といった風情で、ゴールネット下の「おもり」をネットごと持ち上げて眺めていた光景を、私は、はっきり記憶している。
2001年09月23日(日曜日)
 1973年4月から「ワールドプロレスリング」として番組スタートした新日本プロレスの映像を、CS放送でオンエアしてくれている。現在、1976年から77年に差し掛かるところだ。
 見ててあらためて思うのは、坂口征二の資質の凄さだ。当時は私は中学生だったが、その頃、坂口に対して感じていたイメージとは全く異なる、その資質の凄さに、坂口への認識を改めてしまった。同時に、近年のように「総合格闘技」とかがあれば、坂口もしっかり技術や技巧の修練を積んで、相当な格闘家になった可能性があるように思うのだ。時代がマッチしなかったということだろう。
 一方、アントニオ猪木については、ことレスリング技術の冴えという観点においては、1976年6月26日のモハメッド・アリとの異種格闘技戦の前あたりでは、既にピークを過ぎているように感じる。
 ピーク云々というよりも、レスリング技術が雑になってきた感じがする。猪木が衰え始めたということではなくて、純粋なレスリング技術に対する猪木の関心の問題だろう。格闘家としての凄みという点とは、また異なる次元の話だ。
 もっと言うならば、猪木のレスリング技術のピークは、さらに数年前で、おそらく1971年8月のジャック・ブリスコとの戦いあたりだろう。
2001年09月22日(土曜日)
 チャンピオンズ・リーグの、イングランドのアーセナルとドイツのシャルケ04の試合を観た。
 稲本潤一が終盤にピッチに登場して、わずか15分程度のプレー時間だったが、実にハツラツとした姿を見せてくれた。まだイングランドのプレミアシップでのデビューを果たせないでいる稲本だが、ワールドクラス、インターナショナルクラスの選手たちとの毎日の練習で、確実にレベルアップしてくれているようだ。右サイドに流れてのダイレクトのクロスの質とスピードに、その一端が垣間見られた。
2001年09月21日(金曜日)
 3大会ぶりに出場を果たしたU-17ワールドユース選手権の日本代表には、それなりに期待していたのだが、日本のフットボールの選手育成の問題点、質量両面における指導者の不足、そして日本のスポーツ文化環境の歴史的問題(「学校体育」中心でスポーツが営まれてきたことの限界性)を再確認することで終わってしまった。
 もう1つ残念だったのは、同年代のナイジェリアやフランスの選手たちと比べて、一部のファンが「大人と子ども」とまで厳しい表現をするほどの差があったことだ。
 しかもそれは、しばしば言われるフィジカル(身体能力)のことではなく、成熟さにおいて。言い換えれば、「考えるスピード」「迅速な判断力」「広い視野」といった「考える力」「サッカー頭脳」の部分のことだ。その部分が世界水準を上回る速度で進化していくことができなくては、急速な進化を続ける世界のフットボールとの差は、縮まるどころか、拡大する一方なのだ。
2001年09月18日(火曜日)
 作品づくりという行為を述べる時に、「つむぐ」という表現を用いる人に出会う。「つむぐ(紡ぐ)」という言葉も、非常に素晴らしいと思う。作品づくり、コンテンツづくりを的確に表現する言葉だと感じる。
 しかし、私にとっては、「紡ぐ」という言葉よりも「編む」という言葉を用いる方が、何だかしっくり来る。
2001年09月17日(月曜日)
 昨日はムエタイのラジャダムナン・ウエルター級タイトルマッチが日本で行われたはずなのだ。しかし、その重要性に対する日本のメディアの認識の低さ(認識の欠如)は、予想通りであるが、やはり看過できないものがある。
2001年09月16日(日曜日)
 地上波TV番組を見ていると、特に民放において、「○○に徹底的に迫ります」とか「◇◇に密着しました」といった振り(煽り)が日常的になされている。
 全てのケース(と断言できる。)において、全然迫っていないし、全然密着なんかできていないのだが...。せめて少しくらいは、自己評価、自己認識してみてはいかがだろうか。

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