2001 Winter-Spring

2001年03月31日(土曜日)
 スタン・ハンセンとの攻防を見ていると、あらためてアントニオ猪木のレスリング技術の高さに気づかされる。また、ラフファイトの方も、張り手やパンチで、ハンセンの巨体をぶっ倒すのだから、半端じゃない。もっとも、その後何倍にしてお返しされているが。ハンセンの凄いところは、とにかく怯むことを知らない点だろう。極度の近視であることも好影響しているのかもしれない。
 ただ、ハンセンのウエスタン・ラリアート(ラリアット)がムチのように壮絶なのは、1980年くらいまでのように思う。1977年から見始めて、段々とムチ化が進行していって、そのピークが1980年。その頃は、至近距離から不意にラリアートが巻きつくように飛んできて、アントニオ猪木は、それに随分やられたのだ。1981年になると、やはり幾らハンセンでも腕が痛んできたのだろう、力任せのラリアートになってきているように思われる。当然、腕の角度も違っている。そのように思われるのだ。
2001年03月30日(金曜日)
 スポーツ経営学会という学会があるらしい。
 そのスポーツ経営学会の研究発表の中で、プロスポーツ経営に関する発表があったという。ところが、その発表の中で用いている数字は、プロ野球とJリーグの「新聞に掲載されている観客数」だったという。もちろん、Jリーグの方は実数だ。しかし、プロ野球の方については、どう認識されているのだろう。そんな程度の見識で、研究云々を名乗る資格はない、と言わせていただきたい。
2001年03月29日(木曜日)
 日本時間の早朝、ワールドカップ予選ヨーロッパラウンド、ポルトガルVSオランダを観た。
 昨年10月にホームで、ポルトガルにまさかの敗戦を喫したオランダは、もうマジで後がない状況。世界中の誰もが予測しえなかった、オランダの一次予選敗退が現実になろうとしているという、非常事態に陥っている。
 そしてこの日、ポルトガルのホームでの一戦。このグループで首位を走るポルトガルに対して、是が非でも勝点3ポイントを奪う必要があったオランダ。75分まで2-0とリード。しかし、遂に1点を返される。ポルトガルの猛攻に居ても立ってもいられず、仲間にもたれかかり顔を伏せるオランダ・ベンチの選手。そして、ロスタイムを4分経過したところで、まさかまさかのPKを与えてしまい、結局2-2の痛恨のドロー。タイムアップの瞬間、全員総立ちで凍りついたオランダのベンチが印象的。
 またフットボールの怖さ、ドンデン返しを見せつけられた。いい物を見せてもらった。
2001年03月28日(水曜日)
 バックドロップについての一つの考察。
 バックドロップで投げられた相手が、ズダーンとマットに叩きつけられリバウンドするような場合もあれば、ベタッ、グシャ、という感じでマットにめり込むような場合もある。どちらが本気印バックドロップかは、言うまでもない。
 ベタッ、グシャ、となるのは、できるだけ最後まで相手の胴に回した手(グリップ)を離さないからだ。
2001年03月27日(火曜日)
 現在、ムエタイの日本人チャンピオンは、一気に2人存在する。ジュニアミドル級の小笠原仁とウエルター級の武田幸三だ。
 1978年3月に、藤原敏男が外国人として初めてムエタイのチャンピオン(ライト級)になって以来、実に30数年後の快挙である。
 小笠原と武田がタイトルを獲得した試合は、残念ながらまだ観ていないのだが、その前後の試合を何試合か観ることができた。2人も、パワーと破壊力でムエタイを倒したのだろうか。そのように感じられた。
 ムエタイ選手の間合いの取り方も、以前とは大分変わってきたような気がする。首相撲からのヒザ蹴りも、減ったように感じる。ヒジ打ちは相変わらずだが。
2001年03月26日(月曜日)
 U-20日本代表とU-20チリ代表の一戦だが、1st halfの0-2から引っくり返して4-3の勝利に、一部のファンの中に(もしかしたら、サポーターの中にも?)凄い試合だった等と言っている向きがあるが、それは全くの的外れ。非常に問題の多い戦いぶりだった。間違いなく。
 U-20を観ていても、あらためて感じるのは、日本の伝統的な弱点のことだ。
 まず、左サイドバックの人材が不足しているということ。4バックでもフラット3でも、同じことだ。1993年の「ドーハの悲劇」でも、都並の穴を埋められるバックアップメンバーが居なかった。現在でも、服部頼みである。服部がリタイアしたら、オリンピック代表でもそうであったように、本来はボランチの中田浩二をコンバートして使わざるをえない。中田浩二は、やはり代表でもボランチで使って欲しいのだが。
 もう1つは、ゴールキーパーも伝統的に弱点ということだ。それが世界中に情報が発信されるであろうフランスとの国際Aマッチにおいても、まさに露呈されてしまったことは、非常に残念であったが。
2001年03月25日(日曜日)
 スタッド・ド・フランス(1998年のワールドカップのファイナルが行われたスタジアム)で行われた、フランス代表VS日本代表の国際Aマッチ。
 ワールドクラス、インターナショナルクラスと堂々と渡り合えるのは、結局、中田英寿ただ1人だった。
 日本人選手の世界に向けた格好のショーケースになるはずだったのに、既に海外の一部のメディアや関係者の中で囁かれている「ナカタだけが特別だったと考えるべきだろう」という声が、大きくなってしまうことは間違いないだろう。それが非常に残念だ。
 「レジェンド・ナカタ」....ピッチの中で相対したフランス代表のある選手は、そう表現し称賛したらしい。
 「日本で印象に残った選手は、オンリー・ワン、ナカタ」....この試合を観戦に訪れたベンゲル監督は、そうコメントしたらしい。
 「ナカタ以外はノーだ」「全てにおいて速さが足りない」....この試合を観た海外メディアの連中は、そう感想を漏らしたらしい。
 以前から、「(海外へ挑戦するのは)2002年以降に」と口にする選手やクラブの考えに疑問を持っていたが、まさにそれがフットボールの世界を、世界のフットボールシーンを甘く考えていたことに他ならならないことが、白日の下に明らかにされたと言っても、過言ではないだろう。どんどん高いレベルに身を置いていかなければ、せっかくのタレントも世界に抗していくことはできないということだ。
 もちろん、ワールドカップKOREA/JAPANまで400数十日となった今の時点では、もう遅きに失することであるが。
 1テンポ、1ピリオド、気づくのが遅い気がする。まさに、日本という国の姿そのものだ。
2001年03月24日(土曜日)
 桜庭和志が明日、今年最初の試合を行うが、今度は打撃に卓越した選手が相手だ。「グレーシー・ハンター」と持ち上げられている桜庭だが、今度はこれまでのようにはいかないのではないか。厳しい戦いになるだろう。

 プロ野球の観客数がおかしいことを指摘する声は、相変わらず、メディアからは増えてこないが、この事情に詳しくない人、このことに全く関心のない人から、「第一、(使っているスタジアムのキャパからして)あんなに入らないでしょう」といった疑問を呈する声が増えてきている。
2001年03月23日(金曜日)
 パラグアイのセロ・ポルテーニョにレンタル移籍しているジェフ市原の広山望が、リベルタドーレス・カップ(=ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグの南米版....という言い方は問題あるが。この優勝チームが、12月に日本で、チャンピオンズ・リーグ優勝チームとヨーロッパ・サウスアメリカ・カップ(いわゆるトヨタ・カップ)を1回勝負で争う。)の試合にスタメン出場を果たし、アウエイゲームにもかかわらず、2ゴール、1アシストの活躍を見せたというニュースが入ってきた。試合の方も、4-0で勝利を収めたという。
 実に素晴らしい。
2001年03月22日(木曜日)
 新日本プロレスの中西学のアルゼンチン・バックブリーカーは、いつ見ても、ミラクルだ。
 どうしてあんな風に、デカイ相手を、何度も何度もヒョイと担ぎ上げられるのだろう。単なるパワーではない、コツを完全に会得しているみたいだ。

 佐々木健介は、なんて言えばいいのだろう、脇が甘いというか、構えが甘いのが、以前から気になっている。あれは、凄いけれども、格闘家のたたずまいではないのだ。それは、新日本プロレスのスタイルとも、根本的に異なるのだが。

home BackNumber

Copyright 2000-2005 Koh Takeuchi. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.