2000 Autumn

2000年11月30日(木曜日)
 最晩年手前にかけてのElvisのステージ(ライブ・コンサート)のクライマックスは、American Trilogyであろう。trilogyというように、南北戦争での南軍の軍歌Dixie、北軍の軍歌The Battle Hymn Of Republic、黒人霊歌All My Traialから構成された3部作である。
 我々には、この歌の意味や内容や精神は、おそらく理解できないだろう。それでも、何度聴いても、どのステージのAmerican Trilogyもが、強く我々の心を打つのだ。
2000年11月29日(水曜日)
 Elvis本の中にElvis Day By Dayという本がある。Elvisは1969年夏にステージ活動(ライブ・コンサート活動)にカムバックしてから、77年にこの世を去るまで、わずか7年半の間に実に1200回近くのライブ・コンサートを行っている。
 それが自らの消耗を著しく速めたことは、容易に想像されることだ。実際に、70年夏のライブを撮影した映画Elvis_That's The way It Isで見られるパフォーマンスと、72年4月のコンサート・ツアーを撮影した映画Elvis On Tourで見られるパフォーマンスには、ほんの1年半程度しか時間が経過していないという事実からは信じられないくらいの変わり様がある。その主たる原因は、70年秋以降、超過密になったコンサート・ツアー・スケジュールにあることは、誰もが認めることだ。
 声の伸びにしても、映画Elvis_That's The way It Is撮影時までと、映画Elvis On Tour撮影時、あるいはその直前の72年2月のラスベガスのステージの声では、かなりの変化(衰え)を感じずにはいられない。以前は、どうしてわずか1年半程度の間にこんなに伸びがなくなってしまったのか不思議ではあったのだが、近年になって、70年秋ライブ音源、71年のライブ音源を聴くことができるようになって、その声の変遷を辿ることができるようになったわけだ。結局は、ハード過ぎるスケジュールによる咽の酷使に他ならないことは明白なのである。(また、76年以降の最晩年になると、今度は咽も張り裂けんばかりの絶唱を聴かせるようになってくるのだ。)
 しかしそれでも、たとえどんなパフォーマンスであろうと、Elvisのライブ・コンサートの音源に惹かれ続ける。たとえ、客観的には低調なパフォーマンスや声の調子であっても。
 Elvis Day By Day....私がElvisのライブ・コンサートの音源に惹かれ続けるのも、このDay By Dayという言葉に集約されるように思える。調子の良いステージもある、不調のステージもある。昼のステージと夜のステージとの間で変化もある。それでも日々営み続けられたライブ・アピアランスに。
2000年11月28日(火曜日)
 白紙に戻されていたワールドカップKOREA/JAPANのチケット申込受付が、来年2月15日にようやく決まった。以前、既に決まっていた受付日のわずか3日前にドタキャンされたこの件、その原因が日本側の準備遅れにあったことは周知の事実だ。(一応、表向きは受付コンピュータシステムの準備不足によるものと発表されているが、実際はもっと重大な事情によるものだ。)
 ワールドカップは国家事業であることが認識できていない日本を物語るエピソードとして、記憶されるだろう。
2000年11月27日(月曜日)
 国立競技場で、柏レイソルの明神のプレーに驚かされた。よく言われる「黒子」「汗かき屋」の明神はもうそこには居なかった。技術的、戦術的、スピリットにおいて、スーパーな明神を見た感じがする。
 ただ、試合を決めるほどの役割・存在でないことも事実で、レイソルは結局ゴールを奪えないまま、鹿島アントラーズに2ndステージ優勝の座を渡してしまったのだった。
 優勝セレモニーが終わって、場内を1周したアントラーズの選手たちが、最後にレイソルのサポーターの前で1列に並び、深々と頭を下げて挨拶をしたシーンには、非常に感心した。そして、アントラーズのサポーターから期せずして沸き上がったレイソルへのエール。
2000年11月26日(日曜日)
 フル代表であれ、U-23であれ、U-19であれ、アジア各国との試合では、どこが相手でも日本が大部分ボールを支配するようになった。昔から日本代表VSアジア各国を見続けてきた者にとっては、素直なところ、少なからぬ驚きを禁じえない。もちろん、嬉しい驚きだ。
 今やアジア各国は、明らかに、日本と対戦する時にはボールを支配されることをあらかじめ想定して臨んできているフシがある。特に中盤での支配を。そして、日本をよく研究し、それぞれが自分たちなりに分析した日本の弱点のみを突いてこようとする。それはとりもなおさず、日本が、アジア各国からハイレベル・フットボールと認知された(強豪と認知された、とは言わない。)ことを意味している。日本が、アジアでは横綱相撲を演じる(横綱相撲を演じなくてはならない)ようになったのだ。日本サッカーは、アジアにおいては、そんな一段高いレベルに到達している。
 しかし、フットボールは、89分以上ボールを支配していても勝利を失う危険性を、それも決して少なくない確率で秘めた、非常に怖い競技だ。それを回避するには、引いた相手でも崩し攻略するイマジネーションと、高い技術と、プロフェッショナルなスキルと、勝負強さ、途切れることのない集中力が不可欠だ。
 もちろん、アジア無敵というわけではない。質と勝負は全く別。アジア各国は、たとえ日本はハイレベルと認めても、日本に道を譲る気も、負けを認める気も、さらさらない。これからも、たとえ日本がどんなに高い次元に到達していこうと、こと勝ち負けになると、話は別なのだ。
 フットボールに無敵も常勝はありえない。ボール支配にしても、少しでも歯車が狂うと、相手に握られてしまう。いいフットボールを展開しても、勝利に結びつくとは限らない。それがフットボールの難しさ、怖さ。ましてや代表同士の勝負になると、国の威信かかった、実にシビアな世界なのだ。
2000年11月25日(土曜日)
 ASローマについて、トッティが居る時よりも中田が入っている時の方がチーム全体のバランスが良い、ということを以前書いたが、同じことがイタリアでも述べられているらしいので、引用させていただきたい。
 イタリアの週刊のサッカー・オピニオン紙「リゴーレ」に掲載された、ある著名人ローマ・サポーターからの投書で、そのタイトルは「トッティ抜きのローマの方がいいサッカーをする」だそうだ。(Yahoo! Sports-2002クラブ 片野道郎「イタリア特派員情報(連載114)中田英寿を、どう読むか。」より)
 「ローマの問題は、一見すると3−4−1−2のシステムでプレーしているように見えるところにある。ところが実際のピッチ上のシステムは5−2−3なのだ。なぜなら、いくら能力が高くても、カフーとカンデラは根源的にやはりサイドバックであり、ウイングでもアウトサイドMFでもないからだ。
 そしてマジカルなトッティも、いくらトップ下に位置していても、結局は第3のフォワードでしかない。事実、ローマの最大の問題点は中盤にある。エメルソンを欠いているからだけではなく、単に人数的にみて不十分なのだ。
 中田が入ったことで、ローマの中盤にはだいぶ厚みが出た。デルヴェッキオはより前線でプレーできるようになり、バティストゥータを効果的にサポートできるようになった。カフーとカンデラもより安心して前に出られるようになり、チーム全体として見ても明らかにバランスがよくなった」
2000年11月24日(金曜日)
 U-19アジア・ユース選手権で、U-19日本代表は厳しいグループ・リーグを戦い、U-20ワールド・ユース選手権への出場権を獲得した。U-19アジア・ユース選手権として残されたスケジュールは、セミファイナルとファイナルの2試合だ。
 ここまで来たら是非優勝を、という向きもあるが、私はそれにはこだわらない。U-19アジア・ユースは、U-20ワールド・ユース出場権獲得が目的なのであって、もし優勝すれば、それは大いに素晴らしいことだが、自分たちのフットボールを追求した結果それに付随してくるものとして優勝をとらえるような成熟した思考になって欲しいものだ。優勝するなら、U-20ワールド・ユースで優勝して欲しい。アジアで優勝できないのにワールド・ユースで優勝できるわけがないじゃないか、という議論はあまりに的外れだ。
2000年11月23日(木曜日)
 またElvisのゴスペル・アルバム(ゴスペルナンバーの集大成的アルバム)がリリースされた。何年も前にも同じコンセプトのアルバムがリリースされていて、それはもちろん持っているのだが、それよりもさらに集大成的なものなので、今度も購入してしまうだろう。
 Elvisがグラミー賞を何度か受賞していることは意外と知られていないが(Elvisにとってはグラミー賞は全くもって重要なことではない、と言った方が正確だろうが。)その受賞全てゴスペルソングによるものだということは、もっと知られていないことだろう。(当時のグラミー賞自体、近年のようにジャンルもアワードの数も拡充されていなかったことがあるにしても。)
 The BeatlesのJohn Lennonが1950年代後半に登場したElvisに物凄いインスピレーションを受けたことは有名な話で、Elvisを聴くまでは何も起こらなかった、というようなことを言ったそうだが、もう一方で、軍隊に行ってElvisは終わった、とも言ったそうだ。(Elvisは1958年から2年間徴兵に応じた。)だが、それはJohnらしからぬ誤りであろう。Elvisの音楽は、彼らの言うロックン・ロールだけではないのだ。R&B、カントリー、そして最大の構成要素がゴスペルだったのだ。そのことに気づいていない。
2000年11月21日(火曜日)
 ガゼッタ・デロ・スポルト、コリエレ・デロ・スポルト等のスポーツ紙、イル・メッサジェーロ等の一般紙、あるいはRAI(イタリア国営放送)をはじめ、イタリアのメディアは毎試合、選手の採点をしているのだが、ビッグクラブの選手についての採点は、どうも勝利に結びつく活躍をしないと高得点が与えられないようだ。だから、よい動きだったのに「こんな程度の点しか付けられないの?」という場合もあれば、どう見ても動きは良くなかったのに、何とか2得点とか3得点をマークしたりすると、「ええ?こんなに高得点?」という場合も出てくる。総じて、攻撃の選手は、ゴールに絡まなければ高得点がもらえないようだ。
 これが、中堅もしくは下位のチームなら、試合の勝ち負けにかかわらず、ある意味、絶対評価で採点してもらえるので、負け試合でも「7点」とかを付けてもらえることもある。だからペルージャ時代の中田は「7点」とか「7.5点」も付けてもらえることはしばしばあったし、全試合平均でも6.3点強くらいだったから、これは非常に凄いことだったのだ。(全試合平均で6点台というのは、本当に驚異なことだから。何しろ、全試合平均の最高が6点台半ばちょっと上、といったあたりなのだから。)
 メディアの評価のためにプレーしているわけではないが、専門的な目から与えられる採点には、一目を置かざるをえない。
 選手の採点は、もちろんイタリアだけのものではない。たまたま私がイタリアのメディアの採点について情報が入りやすいだけで、全世界の標準仕様の一つだ。
 日本でも、少なくともスポーツ新聞あたりはそろそろ取り組むべきだろう。いつまでも、(どのスポーツの扱いにおいても)通り一遍の、しかも判で押したような文章で記事を構成している時代ではない。
2000年11月19日(日曜日)
 最大のヤマ場での強敵との対戦、しかも、実質アウェイ、過酷な試合日程、蓄積疲労....U-19でも、こういうシビアな状況で、最も良いパフォーマンスを展開してきっちり成果をあげることができるようになりつつあることは、たいへん喜ばしいことだ。

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