小
説 集
よう
『ラップ様愛情譚』
●比留間
千稲(ひるま・ちいね) 著
●市井社 刊
●定価 1470円(本体1400円)
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著者近影(2000年春、於エジプト)
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アル中の夫にふかく捉われた再婚の妻の日常に起こる出来事を
ユーモラスに描いた「女砂金採集者」「七色」「ラップ様愛情譚」など、
鎌倉が舞台の四編収録。
掌篇小説「立体交差」(『月刊カドカワ』)において、作家吉行淳之介氏に
「…魅力のある細部があちこちにあり…」とほめられた著者の、
『三田文学』掲載作品をふくむはじめての作品集。
●お便りから
「ラップ様愛情譚」と「七色」を面白く読みました。とくに後者は力作で、尋常でない男との暮らしが、
したたかな妻の側からのびやかに描けていて感心しました。但し頻出するチャボの場面は効果薄。
(作家・高橋昌男氏)
●書評より
「幻のもうひとり」 山内 洋氏(文芸評論)
この著者のはじめての小説集だ。世に夫婦の姿を描いた物語は数多いけれど、この本はちょっと不思議な手
触りをわたしに残した。・・・この「女砂金採集者」は、私小説的文体の拘束から、じょうずに免れているた
めか、作品の風通しがあきらかによくなっている。特に、主人公が義理の娘、つまり夫の娘が連れてきた恋人
に身勝手といえる身勝手な思い入れと裏切りを行う結末近い部分がよい。夫との閉ざされた生活につよい息苦
しさをも覚えている主人公の気持ちが、誰にも交換可能な心情として受けとれる仕掛けになっているからだ。
こういう描写の前では、もうどこまでが”事実”で、どこからがそうではないのかなど、読者にとってはまっ
たく気にならなくなる。
そして、それはとりもなおさず、比留間千稲という作家がみずからの織りなす小説世界に、新しい自前の言葉
を与えつつあることをしめすにほかならないのだ。
(『三田文学』No.56 '99年冬季号 )
●推薦のことば
「書く」ということはわけのわからない「病」に罹ってしまったようなところがある。ひとたび
「文学病」にとりつかれると、そこから這い上がるのは至難のわざだ。もがけばもがくほど蟻地獄に
はまっていく。一生付き合う持病のように、仲良くやっていかなければならないもののように思えて
くる。難儀なことがあるとわかっていても、人はときには進む。あとはどうするか。堕ちた者の喜び
と哀しみを静かに見つめるしかない。
それにしても言葉を紡ぐという作業はむずかしい。比留間千稲はそのことに果敢に挑戦している。
(作家・佐藤洋二郎氏)
●北田敬子(英米文学専攻)さんより
『ラップ様愛情譚』を拝読いたしました。ぐいぐいと引っ張られ、一気に読了いたしました。
人間の心の中というのは、ひとたび踏みいると、迷路でもあり案外単純な流れのようでもあり、
緩急自在にその動きを描写するスタイルに魅了されます。 「女砂金採集者」で、マリが「田中と自分は
七つしか違わない。苑実と彼は九つ違うのだから、ということは自分と田中のほうが二つだけ近いことになる」と
考えて、まんざらでもない関係を妄想し始めるあたりから、表面上は何も起こらない小説の内部でブツブツプクプクと
生成消滅する物語がおもしくてたまらなくなりました。・・・
●発売以来「湘南ビーチFM」、「湘南よみうり」、「かまくら春秋」、「四国新聞」、「小豆島新聞」、
「月刊ぴーぷる」ほかでも紹介されています。
●著者プロフィール
香川県小豆島生まれ。法政大学文学部卒業。
1972年、婦人生活社『ベビー・エイジ』で編集ライターをはじめる。
1979年、同人誌『イシス』発刊。
1984年、『月刊カドカワ』"掌篇小説大賞" 月刊優秀賞を受賞。
1989年以降、『三田文学』に小説『ラプンツェルや、ラプンツェル』などを発表。
最新短編小説『レギュラー満タン』が同誌No.80(2005年冬季号)に掲載される。
鎌倉市在住。
●う わ 言
ひるま ちいね
殺してやる、と指先で男の鼻先をはじいてる。まったくなんでこう寝付きがいいろ
う。寝息が止まって男のあごがふるえる、たったそれだけだ。
いたずらをしたときの反応はいつも同じなので別段おもしろくもない。なにしろ相
手は眠っているのだからたいしたこともできない。起こしてしまうのはまずいので、
楊子でつつくようなまねしかできない。はじくときの爪先の力をかげんするくらいの
ことだ。
それにしてもあの女、朝っぱらからぺちゃくちゃうれしげに猫かぶり声で、と腹が
立っている。うちの彼が九時ごろ仕事に出かけるのを知っているはずなのにおかしい。
岡田さん、お願いしますなんてとぼけておいては勝手に話を始めてしまっている。
ーー今度また飲みに誘ってくださいね、すっごく楽しいんです、岡田さんたちといっ
しょだと。
女の口調には自分のほうがタエより五つ六つ年下だという意識がちゃんとある。彼
女は話術に長けている。仕事先から何かの用事でかけてきたのかと思っていたら、み
るみるそれていってしまう。彼女は今日は休みで、夫が留守の自宅からかけているら
しい。現場事務所と呼ばれる彼女たちの仕事先はかた苦しいオフィスではないのらし
いが、かといって朝っぱらこんな話はしないだろう。
?この前もすっかり盛り上がっちゃって、岡田さんおかしいんですよ。お店からお店
に移るときヨコさんの自転車取り上げちゃって、オレの曲乗り見たことないだろって
。曲乗りってもふつうに跨ったままハンドル思いきり上げるだけなんだけど、もうお
猿さんみたいなの。そう、金曜日はタエさんお仕事でお出かけだったんでしょう?
とんでもない、金曜日はお出かけなんかしていない。あの日はたしか夕方岡田が電
話で、今日は横山と仕事の話で飲むといってきたのであっさり遠慮したのだ。出かけ
て行きたい気もしたが、台風もようの天気なので面倒でもあった。
ーー風の夜は酔っぱらってする街歩きがいちばん、なんてごきげんで、映画の話ばっ
かりしてましたよ。岡田さんくわしいんですよね、何でも教えてやるよって。そした
らヨコさんが岡田さんのネタ本割れてるんだからねってからかって、ネタ本なんてケ
チなもの見てないよー、嘘だよボクも見てるからわかってんだ、なんて大笑いですよ。
なにが仕事の話がある、だ。岡田は彼女と飲みたかっただけで、横山はダシに使わ
れたのだ。ありていにいうわけにもいかなくて電話ではダシの名前だけをいった。
それにしても横山なんか交える必要なんかない。岡田と彼女ははっきり感じあって
いるんだから好きなようにすればいいのだ。いっしょに飲んでいればそんなことタエ
にだってわかる。
枕がずれたのを腹這いになって直してうずくまった。シースルーのスカートは二重
になっていたからつまみ上げても脚が見えたわけではない。それにしても不愉快な光
景だった。その夜はたまたま出会った彼女たちとカウンターで並んで飲んた。岡田は
なかなか帰ろうといわない。客の誰もがタクシーを呼べば千円札一枚で帰り着くこと
のできるちいさな町だから、時間を気にする者はいない。彼はあっちを向いて彼女と
ばかりしゃべっている。岡田と知り合って一年ちょっとのタエには彼らの仲間内の話
はわからない。彼らが笑いあったりなじりあったりしているのを作り笑いしながら聞
いているよりない。
「もう帰ろ」
三回目にそうだなと答えて岡田は財布を出し、椅子を回して彼女がこちらを向く。
そのとき岡田の手がのびて女のスカートをすっとつまみ上げた。彼は女たちの脚のか
たちに非常に敏感で、彼女はまっすぐな細い脚をしている。いやンとかいって女は男
にじゃれ、ちいさなフロアの客の目がふたりに集まる。スカートの上布がめくれたま
まになっている。
中学生みたいに人前でちょこっといちゃついて見せるなんてあほらしい。彼女の夫
やわたしなんか煙に撒いて、やりたいことドンとやれってのーー。
トテン、と寝返りを打ってかぶさるようにして男の顔をのぞく。男が息をしている
と思うだけで動悸がしてくる。こんなやつがいるからいけない、殺してやる……。
「いいよ」といって男が笑った。目はつむったまま口をゆがめている。夢うつつら
しく、横になって足先でタオルケットの塊をほぐしている。
(了)
(「関西文學」016(99/10)より)
<バックイメージ ふくい・みらい(武蔵野美術大学卒・NewYork在住)>
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